こんにちは、格安SIMナビの運営をしている、Mr.Tです。
格安SIMナビにアクセスしていただき、ありがとうございます。
読者のあなたに、私は何者か知ってほしいため、この記事を執筆しました。
仲良くしてください\(^o^)/
Contents
Mr.Tって何者?
Mr.Tって何者か?これまでの生い立ちから、格安SIMナビを運営するに至った経緯を説明します。
幼少期に、ビデオテープを引っ張ってゲラゲラ笑う
幼少期はやんちゃなことばかりしていました。
ビデオテープからテープを引っ張るのが楽しく、
走り回るのが楽しく、
とにかく何をするにしても新鮮で、楽しい事ばかりでした。
楽しいことと引き換えに、赤ちゃんの頃を納めたビデオテープを失いました。
もう二度と、赤ちゃんの頃の映像を見ることはできなくなったのです。悲しい。
幼少期、家電の説明書に興味を持つ
そんな中、特に興味を持ったのが家電です。
ブラウン管のテレビの中身を開けてどんな部品で構成されているのか知りたいなぁ。
危険だから絶対に開けるなと書いてあるし、やめとこう。
中身を開けることができないなら、そうだ説明書を読めばいいんだ!
そんな経緯で、家電の説明書をひたすら読んでいました。
いつか家電を作れるようになりたいなぁとぼんやりと考えていました。
保育園のある事故をきっかけに、人生は有限だと意識するようになる
家では家電の説明書をひたすら読み、保育園ではお昼寝タイムで寝付けない、そんな子どもでした。
みんな寝ているけど、どうしてみんなと一緒に行動しないといけないのだろう?
もっと好きなことをやりたいのに。
そういうストレスが溜まって、保育園では走り回っていました。
お遊戯会では走ることだけに専念しよう、そんなことを考えていた矢先、事件が起こります。
「バリーン」
音がなった方向に向かってみると、お遊戯のステッキが床に落ちており、ガラスの破片の上に血だらけの女の子が立っていました。
突然のことに我々子どもたちはパニックになり固まっている中、先生は冷静に対処。
なぜ血だらけになったのか、少女に現状を確認していました。
お遊戯のステッキを頭上に投げた際に、ステッキが蛍光灯にぶつかり、
その破片が飛散。
その破片の雨にさらされた少女は、血まみれになったとのことでした。
まもなくすると救急車に運ばれていきました。
このときに感じたのは、人間は明日死んでもおかしくない、人生は有限だと言うことでした。
そうか、もっとゲラゲラ笑って、悔いのないように生きようと誓ったのはこの頃からです。
小学校での光と闇
いたずら
ゲラゲラと笑っているアホのまま、市立小学校に進学します。
小学校でも、毎日が新鮮な体験ばかりで、楽しく過ごしていました。
夏は海へ行き泳いだり、山へ行ってカブトムシやトンボを取ったり、近くの公園で野球をしたり。
学校のテストでは、いつもほぼ満点。
毎年賞状をもらったりしていました。
真面目にやっているかと思いきや、ズルもしていました。
漢字をひたすら書けという宿題が出たときに、こんな面倒なことをやってられんと思い、
ワープロを使ってその漢字をひたすら入力し、感熱紙に印刷して提出したのです。
先生にこっぴどく怒られるかと思いきや、「こいつはできる」と思われたのか、変人だと思われたのか、気に入られるようになりました。
気に入られたのをいいことに、いたずらをして楽しんでいました。
理科の授業で乾電池を豆電球につないだら光るという演習があり、ひらめきました。
そうだ!乾電池を赤ペンにつないだらどうなるんだろう。先生の赤ペンにつないでやってみよう。
乾電池のプラス側と導線をセロテープでとめて、赤ペンの先端につなげ、
マイナス側も同様に、導線をセロテープでとめて、赤ペンのお尻につなげると...
プラスチック製の赤ペンが溶け始めました。
このままではまずいと思い、赤ペンを導線から外そうとするもビリビリきて外せず放置してしまいました。
そんな楽しい小学生を過ごしていた時、あることを境に人生が変わります。
同じ世界に生きているのに、違う世界を生きている
実は幼い頃からテレビの音が大音量でないと聞こえない、
車が後ろから来ているのに気づかない(車の通り過ぎる音が聞こえない)
といったことがあって、度々耳鼻科に通っていました。
友達と喋っていても聞こえないことがあったので大声でしゃべることで相手の声量を上げたり、どうしても上げてくれないときは適当に相槌を打ってその場をしのいでいました。
それもさすがにアカンということで、耳の手術を受けることになりました。
耳の手術は全身麻酔で、
麻酔のマスクを付けられてから息を止めていたらお医者さんに見つかりました。
しょうがないなぁ、吸ってやるよという投げやりな気持ちで大きく息を吸ったら最後。
起きたときにはベッドの上でした。
起きてすぐに、麻酔薬特有のまずい味が舌を包み込みます。
全身麻酔の辛さは、なんと言っても麻酔が終わったあとにきます。
とにかくまずい味が辛くて、一日が苦痛で仕方なかったのを覚えています。
ひたすらティッシュに唾液を捨てて数日すると、ようやく麻酔薬の味がなくなりました。
そこであることに気づきます。
あれ!?これまで聞こえなかった音が聞こえるぞ!
指と指をこする音、遠くの足音、吐息(といき)。
これまでは中耳に水が溜まっており、プールで水が溜まったような感じが永遠に続く感じでしたが、この水がさっぱり取れました。
これまでの音はなんだったんだろう。
同じ世界を生きているのに、見える景色が一変しました。
退院してからは、これまで生きてきた世界が変わったような感じがして、
これまで聞こえなかったいろいろな音が聞こえてくるので
これまで以上にいたずらを楽しみました。
同級生を挑発して逃げ回ったり、とにかく毎日が楽しかったです。
その楽しい毎日も長くは続きませんでした。
耳から水が出る
耳に違和感を覚えたある日。
耳に指を触れてみると、ネバネバした液体が出てきました。
変な匂いを放った液体で、とめどなく流れてきます。
病院による診察の結果、耳垂れが出ることは良くあるとのことで水を吸い取ってもらいました。
しかし、取っても取っても流れ出てくるのです。
周りからは耳が光っている、水が出てくる、なんだあれなどと言われて、周りから孤立していきました。
このまま、耳から水が出てくる生活を送り続けるのか。
そんな気持ちを抱いたまま、地元の市立中学に進学します。
中学生の頃にプログラミングに出会う
中学でも耳の水が止まることはなく、周りからは耳が光っている、水が出てくる、なんだあれはなどと言われて孤立していました。
そんな中で出会ったのが、今では当たり前になっているインターネットです。
世界中の人がコンピュータを持ち歩くようになり、インターネットに繋がるようになる。
実店舗はこれからなくなっていく、無から有を生み出すソフトウェアは産業革命以来の革命だ!
そう確信した私は、両親になんとかインターネット回線を引いてほしいと嘆願しました。
「電話代が何万円もかかると聞いたんだけど」
あー、ISDNのことか、と思った私は
「ADSLというのがあって、Yahoo! BBだと毎月2500円ぐらいで使えるよ」
と説得するも、
「うーん、でもお金かかるならねぇ」
と返されます。
それでも、インターネットは世の中を変えていくことを確信していたので
「インターネットはこれから誰もが当たり前のように使うようになる。世界中の人と無料で電話できたり、世界中の人が書いた記事をいつでも見ることができるようになる。本をパソコンで見れるようになるんだ。無から有を生み出すこんな技術、産業革命以来ないんじゃない?だからどうしてもインターネットを使えるようにしてほしい」
こう説得したところ、了承してくれました。
幸いにもコンピュータは自宅にあったので、Yahoo!BBの工事が終わりインターネットが使えるようになりました。
インターネットが使えるようになると、
中学校のみんながガラケーで色んな意見を書き込めるBBS(掲示板)を作れば、みんながもっとハッピーになるんじゃないか。
そういう思いで、Perlというプログラミング言語を勉強して、パケット代のなるべくかからないBBSを自作しました。
公開してすぐに書き込みがあり、盛り上がりました。
プログラミングで色んな人を幸せにできるんだ、早く社会に出て仕事をしたくてたまらないけど、中学生じゃなぁ、でも楽しいんだよなぁ。
そんなことを考えていたら、「バリーン」
父親がノート型パソコンのディスプレイをグーパンチで殴り、壊されます。
「受験勉強しろ、パソコンしている場合じゃないだろ。」
プログラミングにハマっていたので全く勉強をせず、成績が急降下していました。
とはいっても高校普通科に行ったらまた勉強することになるんでしょ、そんなの嫌だ。
プログラミングをみっちり教えてくれる高校はないのかなぁ?
そんなことを友達に話していたら、高校ではないあるところを紹介されます。
高等専門学校、通称高専です。
高校の3年間と短期大学の2年間の合計5年間で卒業という、変わった学校です。
大学受験もしなくてよさそうだし、
ソフトウェアとハードウェアを学べる、情報電子工学科というところに有名な先生がいるらしいし、
受験勉強もそんなにしなくてよさそうだし、
ここを受けるかという気持ちで受験し、無事に合格します。
高専では、プログラミングとお酒に飲まれました
晴れて入学した高専では、不安がいっぱいでした。
優秀な人で溢れていて、成績は下の方なんだろうなぁ。
そんな気持ちで望んだ1回目の試験。
結果は2位で、そうか、1人しかいなかったかと落胆しました。
学校の勉強はそれほどやらなくてわかったことだし、プログラミングを学ぼうと、プログラミングを学ぶサークルに入ります。
サークルでは優秀な先輩が数名、いかにもプログラム書いていますという感じのメガネをかけていました。
何をやればいいのかわからないので、先輩から渡されたプログラミング言語Cという、プログラミング言語の一種のバイブル本を渡されます。
この本に書かれているプログラムをひたすら写経し、基礎を身に着けます。
基礎を身に着けたあとはアルゴリズムという、問題を解くための手順を定式化する方法の有名なものを学びました。
その後はLinuxと呼ばれるAndroidスマートフォンにも搭載されているOSの使い方を覚えたり、サーバーを立てたり、ウェブサービスを公開したりしていました。
そんなことをしていると、留学生が来たらしいということでガヤガヤしています。
ルワンダ出身のMr.J(本サイトには登場しません)。
Mr.J とはきっかけは覚えていないものの仲良くなり、プログラミングなどを教えては数学を教えてくれる、持ちつ持たれつの関係でした。
Mr.J は自分の国が大好きで、留学生だけが入れる寮のフロアに案内してくれ、仲のいい留学生を呼んで郷土料理を振る舞ってくれました。
ここで、本サイトを共同で運営しているMr.S と出会います。
学年が一個下の、とにかく数学が化け物並にできるという噂のMr.S。数学を教えてもらっては、プログラミングを教えるという持ちつ持たれつの関係になりました。
Mr.J と Mr.S とは、将来自分の会社を持つんだ、ビジネスを起こして世界を変えるんだ、そういう話を度々しており、過去を振り返らず、未来に向けてひたむきに考える素晴らしい仲間と出会うことができました。
そんな仲間とは、高専を卒業するとお別れです。
Mr.J は国立大学に編入学していきました。
私は2年高専に行くと学士号が貰えるため、高専の専攻科に進学しました。
高専1年が立った頃、
私は国立大学大学院への入学が決まり、
学年が一個下のMr.S は高専を卒業し、国立大学大学院に編入学していきました。
大学院では、受賞歴を積む
有望な仲間と別れてからは、大学院でとにかく勉学に励みました。
1日4時間以外は研究室にこもっていて、研究の議論に花を咲かせました。
学内の自販機で買ったカロリーメイトを食べながら論文を読み、プログラムを書き、シャワーを浴びるために寮に帰る、そんな生活を繰り返していました。
こんなに研究をやっているやつはいないだろう、これで何の成果も出せなかったら、価値のない人間だからこの世から去ろう。
論文を出し終えたあとに思っていたことです。
論文は出して終わりではなく、発表がセットです。
プレゼン資料は10回程度書き直し、プレゼン練習は1週間みっちり、ひたすら取り組みました。
練習を終えた頃には、これだけやっている人はいないはずだ、絶対に賞は取れる、むしろ取れなかったらおかしい。
そう思いながら眠りについた翌日、友達とプレゼン会場に向かいます。
練習したのはいいけど、うまく喋られるかなぁ。不安だ。そう思っていると、自分の番が来ました。
大勢の聴衆を前に圧倒されましたが、練習通りにスラスラとしゃべることができ、質疑応答も楽しく終えることができました。
他の人の発表を聞く限りだと、ぶっちぎりにうまく行ったな。
そんなことを考えていると、お昼休みに、普段褒められることがなかった先生からもにこやかな笑顔で、発表うまくいったね。
そう言われ、固まってしまった自分がいます。
論文発表最終日、受賞者の発表が3位から順に呼ばれます。
3位、2位、呼ばれない、ということは1位か?
「1位、Mr.T」
「君呼ばれたよ、壇上に上がりなさい」、そう言われたのは指導教員からでした。
緊張のあまり手足が震え、受賞者コメントでも声帯が震えまくっていました。
このときに学んだことは、ひたむきに努力すれば、必ずうまくいくということです。
その後はポスター発表、論文などで受賞し、有終の美を飾り学生生活を終えることができました。
大手総合電機メーカーに入社
有終の美を飾ったあとに、晴れて総合電機メーカーに入社します。
総合電機メーカーでは、子会社を含めた全社研修が2ヶ月ほど、所属部署による研修が4ヶ月の合計6ヶ月ほどありました。
研修中はとにかく飲み会の嵐で、バスを降りた瞬間にリバースしたり、幸せな毎日を過ごしました。
研修を終えると、面接時に希望していた部署に配属されます。
非常に優秀な先輩が指導してくださり、社会人としての考え方や仕事への姿勢の礎(いしずえ)を学びました。
社内向けのシステムの開発に携わらせていただきました。
プログラミングに明け暮れている毎日を過ごしています。